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第1章:灰色の旅人

荒涼とした廃墟の中央で、瓦礫の山を背に、灰色のローブをまとった男が静かに歩みを進めていた。風雨に晒され、何度も繕われたであろうそのローブは、所々が擦り切れ、破れた箇所から覗く無数の傷跡が、彼の過酷な過去を物語っている。

男の口元は無精髭に覆われ、険しい表情を一層際立たせていた。そこから覗く双眸(そうぼう)は、獲物を定める猛禽類(もうきんるい)のように鋭い光を宿し、周囲を見据えている。

左腕は肘から先が失われ、無機質な金属製の義肢に置き換えられていた。鈍い光沢を放つその義肢は、まるで彼の身体の一部であるかのように自然に馴染み、力強く存在感を放っている。

彼の網膜には、常に微細な情報が投影されていた。周囲の地形データ、生体反応、エネルギーレベル、そして進むべき方向を示す指標が、絶えず彼を導いている。

腰には、光の結晶を収めた革袋が吊り下げられていた。かすかに光を放つその結晶は、暗い廃墟の中で一筋の希望の光のようにも見える。右手は緊張で小刻みに震えながらも、短剣の柄を力強く握りしめていた。

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第2章:黒霧

男が、崩れた神殿のような廃墟の中を通り過ぎようとしたとき、何かを察し、足を止める。廃墟の奥の暗がりから、重い足音が聞こえてくる。地響きのようなその音は、徐々に大きくなり、地面がわずかに揺れる。男は目を細めて、音のする方向を睨みつける。

その時、黒い霧が一気に男の周りを包み始め、暗がりから異形の巨体が姿を現す。その皮膚はひび割れた岩石のようで、赤い脈が表面に醜く浮かび上がっている。頭部に目は無く、黒い霧によってあたりの状況を察知しているようだ。

巨大生物は、その異様に長い腕を振り下ろす。腕が地面に叩きつけられると、轟音が響き渡り、地面が砕けて粉塵が舞い上がる。巨体の周囲には、小型の、同様の異形生物が群れをなしている。おそらく、巨体生物はこの群れの親だろう。その巨体が男の腰につけた光の結晶を認知すると、涎を垂らしながら大きな牙を剥き出し、金切り声のような咆哮をあげる。その衝撃波が男のローブを揺らすと同時に、小型の異形生物が鋭い爪を振り上げて一斉に飛びかかってくる。

男は、機械化された左手で短剣を抜き、戦闘体勢に入る。左手で握った短剣の刃先は色白く光り、チリチリと音を立てる。研ぎ澄まされた刃が空気を切り裂く鋭い音が響き、次の瞬間には体を低く屈めて、襲い来る異形生物の間を縫うように動き出す。男の網膜には小型生物のエネルギー源、すなわち急所が高速で認知されていく。男は襲いくる生物の脇腹に近づき、研ぎ澄まされた剣先を素早く滑り込ませる。刃が硬質な皮膚を切り裂くと、粘性の高い黒い液体が勢いよく噴き出し、地面に落ちて黒い染みを作る。黒い霧が視界を遮る中、小型の異形生物が次々と襲ってくる。

男は、五月雨のように向けられる攻撃を、紙一重でかわしながら短剣を振るい、異形生物の脇腹に突き立て、一匹ずつ確実に倒していく。一匹の爪が剣に当たると耳障りな金属音が響き、別の爪が肩をかすめてマントを裂く。深手を負えば、たちまち命を奪われるだろう。研ぎ澄まされた神経が、死の気配を敏感に感じ取っている。

数多の小型生物を倒し続け、その終わりが見えてくると、唐突に巨大な異形生物が地面を叩きつける。衝撃波が広がり、男の足元が揺れて体が大きくよろめく。バランスを崩した瞬間、巨大な異形生物の首が蛇のように伸び、男の脇腹をえぐる。鈍い痛みが走り、衝撃で短剣が手から滑り落ち、石畳の上でカランと音を立てる。腰の革袋が引きちぎられ、光の結晶も地面に転がり、微かな光を放ちながら数メートル離れた場所で止まる。

光の結晶が地面にこぼれ落ちると、小型生物たちが貪欲な勢いで一斉に群がり始めた。だが、その中の一匹が飛びついた瞬間、巨大生物が長い腕を素早く伸ばし、鋭い爪でその小型生物と捉えると、そのまま力任せに握り潰した。黒い体液が飛び散る。他の小型生物たちは状況を悟、慌てて光の結晶から遠ざかる。

巨体が重々しく近づき、涎を滴らせた巨大な口を大きく開けながら、長い腕を伸ばしてついに光の結晶を掴み上げた。その周囲では、小型生物たちが怯えたように距離を取り、男と地面に転がる結晶を中心に円を描くように散らばっていた。彼らは巨体の威圧に押され、結晶に近づくことなく、じりじりと後退しながらその場を囲む円環を形成している。男は動けず、ただその光景を見つめるしかなかった。死が、すぐそこまで迫ってきている。いや、男にとって、光の結晶を奪われることに比べれば、死はさほど重要なことではなかった。

第3章:捕食者

男は傷口から血を吹き出しながらも、低い唸り声を上げながら起き上がろうとする。その時、廃墟の天井が崩れ、巨大な影が現れる。あまりにも巨大すぎて、影の全体像は見えない。巨体の異形生物はその影を認知するや否や、もはや男には目もくれず廃墟の奥へ猛スピードで逃げようとする。ただ、影の先から伸びる鋭利な鉤爪のようなものが、凄まじい速度で巨体の胸を突き刺し、黒い液体が噴き出す。その拍子に、巨体は手に持っていた結晶を落とす。異形生物の断末魔の叫びが、廃墟全体に木霊(こだま)する。

巨体は甲高い悲鳴を上げて体を震わせる。周囲にいた小型の異形生物たちは一斉にその場を離れ、廃墟の奥へ蜘蛛の子を散らすように逃げていく。巨体はそのまま天井の上に引き上げられ、叫び声とともに、黒い体液と肉片が雨のように降り注ぐ。廃墟の中を、奇妙な静寂が包み込み、黒い霧が少しずつ薄れていく。男は何もできず、その様子を見ながら佇んでいた。

第4章:再起

空が不気味な音を立てて鳴り響き、冷たい雨が降り始める。雨粒が地面に落ちて跳ね、結晶の光を反射する。男は最後の力を振り絞り、ヨロヨロと落ちた結晶のところへ向かい、それを手に持つとそのまま倒れ込んだ。倒れたまま雨に打たれ、顔のローブが濡れて張り付く。血と汗が頬を流れ、雨で洗い流される。男に拾われた光の結晶は、手の中で淡く輝いている。

男の傷口から流れ出る血は、冷たい雨と混じり合い、赤黒い筋となって地面に広がっていた。男の身体からは、細い、光る糸が現れ、傷口の周りを這うように巻き付き、自己治癒を始めた。光る糸は、脈打つように明滅しながら、裂けた皮膚を覆い、じわりと温もりを与える。痛みが薄れ、男の荒々しい呼吸が徐々に整う中、廃墟には雨音だけが静かに響き渡る。滴が石を叩き、微かな反響を重ね、時が緩やかに流れていく。

しばらくして、男はゆっくりと体を起こす。左手で結晶を胸に抱きしめる。立ち上がると、濡れた地面に足跡を残しながら、網膜に映る目的地の方向へ歩き出す。途中、戦闘で落とした短剣を拾い、再び歩き出す。

雨は降り続き、男の背中が徐々に小さくなっていく。彼が去る姿を、一匹の小型の異形生物が物陰から認知しているが、親を失ったその小型生物は、その後を追うことはしない。

雨が上がり、廃墟の中は再び静寂に包まれた。